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2025 / 12 / 13  12:00

紙芝居と大阪・関西万博備忘録

紙芝居と大阪・関西万博備忘録

万博について意識しだしたのは2018年。

「大阪でまた万博開催が決まるかもしれない」みたいなニュースがちょこちょこと聞こえてきた頃。

 

めちゃめちゃ単純に、

「お!万博がまた大阪でやるんや!ええやんええやん!大阪の景気もよくなりそうやし」

みたいな感想やったんやけど、

まちづくりとかの有識者の意見とか聞いてみると、

「このインターネットなどで色んな知識を得られる現代に税金を使って万博を開催する意義を問う。開催が決まれば応援するしかないけど」

など、今まで深く考えもしてなかったので

「ほえー!たしかになー。そんな考えもあるんやねー」

みたいにふんわりと万博については考えてた。

 

そして2018年の11月24日。

大阪での万博の開催決定。誘致成功。

「おー、大阪で万博かー!すごいやん」

でも、そこで思ったのは、

「大阪で万博やるのに、紙芝居で関われへんかったら『嫌やな』」やった。

 

ある意味、人生でまたとないかもしれない面白い機会。

その機会に脂の乗り切っている年齢で迎えられる。

周りの色々やってる人たちは万博に関わっていくかもしれない。

その中で自分が全然万博に関われなかったら、もしかして「悔しいな」と思うかもしれない。それは「嫌やな」。

 

でも、万博なんて国を挙げての行事やから関わるのは大きな企業だけかもしれない。こんなよくわからん紙芝居屋なんかには関わりしろはないかもしれない。むしろ、どうやって関わっていけるか見当もつかない。

 

とりあえず、

2019年にどっぷり昭和町というイベント内で『紙芝居万(よろず)博覧会』という企画をやってみる。

万(よろず)博覧会というよくわからない、言いにくい名前。なんでこんな名前にしたかと言うと、オリンピックみたいに『万博』という言葉も知的財産権に保護されてるから使われへんのかな?と思っていたので。(後々調べたら全然大丈夫でした)

『紙芝居』というものを色んな角度から楽しんで実験しようと、ロゴもデザイナーに発注して作ってもらったり、大きなのぼりも作ったりとわりと力を入れた企画。

と、やれる範囲で自分なりにやってみる。

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その後、世の中は新型コロナだなんだでバタバタしているうちにあれよあれよと2022年。

 

世の中では大阪で万博が開催されることなんてわりと忘れられていた。興味が薄かった。

そんな中、3月。友達の会社が万博に認知を高めるべくdemo!expoという有志団体を立ち上げた。

 

そのdemo!expoが、まだ何にもない夢洲の仮設木造モジュールでイベントをして、舞洲で焚き火やキャンプをする企画をやるらしい。

舞洲は色々と所縁のある場所やし、demo!expoのボードメンバーにも知った名前がチラホラ。

 

これは面白そうやから参加してみよう。ということで参加してみた。(当日はあいにく雨やったので舞洲での焚き火やキャンプは中止になったけれど)

 

その『EXPO TEAM CAMP2022』。この時出会って、その時の意志のまま万博閉幕まで駆け抜けた人もいる。反対にいなくなってしまった人も多い。あらためてこのころのdemo!expoのボードメンバー見てみたらほとんど入れ替わってるなー。動的平衡。

舞洲でのキャンプの代わりにgrafさんのところでの二次会で夜通し熱く語ったのが懐かしい。

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その二次会の時に知り合った経産省の人に連絡して『TEAM EXPO 2025』のプログラムとして『万博公式キャラクター紙芝居』の企画を進めようとしていく。(すごい。この頃まだミャクミャクという名前も決まってない)

 

【企画内容】

大阪·関西公式キャラクターの紙芝居制作

【概要】

営利目的ではなく、万博の機運醸成。

日本独自の文化『紙芝居』で、老若男女幅広い世代にキャラクター、万博をPRします。

最先端技術が注目されがちですが、あえて真逆のレトロでアナログ文化を使ってPRすることによって話題性を集めることを目指します。

制作下紙芝居の上演場所などは、学校や各種イベントなどで考えています。

【紙芝居の内容案】

幅広い世代の人が大阪·関西万博公式キャラクターに愛着を持てるようになるストーリー。

(例)

大阪·関西万博公式キャラクターが様々な人(年齢、性別、障害の有無など)と交流して課題を解決し、名前を言わずに去っていく、吉本新喜劇風のコテコテ人情一話完結物。

【今後の展望】

公式キャラクターの名前が決定した後、第2弾・第3弾と紙芝居制作を進め、公式キャラクターの世の中への愛着度を高めていけたらと考えています。

【紙芝居制作者】

紙芝居屋のガンチャン

 

↑当時の企画内容。

 

先方の反応も良く、まずは『TEAM EXPO 2025』に登録するため人数が複数人必要だったのでおきゃんにも登録してもらい団体として『万博公式キャラクター紙芝居』企画を申請し「よっしゃ面白いことになってきたぞ!」と意気込んでいた。

 

しかし、

なかなか話がそこから進展しない。

 

やはり、規約やステークホルダーとの関係上色々と難しい部分も出てきているらしい。

『ミャクミャク』の命名もされた7月頃、企画は立ち消えに。『TEAM EXPO 2025』の幽霊部員みたいな形になる。(その後も『TEAM EXPO 2025』の集まりみたいに顔出してみても紙芝居としての関わり方が難しそうやったので)

 

残念やけど、仕方ない。

『万博公式キャラクター紙芝居』の動きと並行して、「万博絡めて面白いことできひんかな?」とはちょこちょこっと動いていたので、またまた4月にどっぷり昭和町で『紙芝居パビリオン』という企画もやってみる。

公式ロゴマークのあの独特の形状の紙芝居枠を作り、5つの物語が並行して進んでいくという、まあようわからん代物。命が輝いてるねー。協力してくれたおきゃんずっくありがとう。

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そして、12月。

京橋のQUINTBRIDGEで開催される『つながれ!EXPO大酒場』というイベント。

そこで万博の紙芝居をやってほしいという依頼を受ける。

なんでも同会場で昼間は『TEAM EXPO 2025 Meeting』というわりと真面目な会合が行われ、夕方から『つながれ!EXPO大酒場』という流れなので、紙芝居で空気をごちゃ混ぜにしてほしいオファー。得意分野やん。

『万博紙芝居2025』初披露。ダークサイドのミャクミャクっぽい「呪苦呪苦(ジュクジュク)」も初登場。

博覧会協会とかの人もいっぱいおるなかでのオリジナル万博紙芝居。正攻法ではなく、裏道のオフロードからたどり着いた場所。そんな感じ。

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そして2023年になる。

 

2月には、『つながれ!EXPO大酒場』で紙芝居を観てくれてたご縁で滋賀県の湖南市でのEXPO酒場『ブラジル酒場』に出演。オリジナルのブラジル酒場バージョンのEXPO紙芝居も制作。

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このような感じで毎回毎回現場でしっかりと結果を出してると、どこかで誰かが観てくれていたりして、色んな拡がりが増えていき、色んな企画に声をかけていただく。

 

7月の『EXPO TRAIN 近鉄号』では近鉄電車の中で紙芝居。

 

11月のEXPO酒場『生野店』では区長なども登場する生野バージョンのオリジナルEXPO紙芝居を制作。

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同じく11月には心斎橋ビッグステップでのアメムラ万博『自分万博- YOUR SELF EXPO -』でトークショーに出演したり。

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自分が出演や制作するだけでなく、万博に関わる色んな人に出会わせてもらい、色んな話を聞かせてもらうことによって万博に対してのモチベーションや解像度もあがっていく。

 

ちょっと時系列は戻るけど、

4月にベータ本町橋でおこなわれた『まちごと万博 大作戦会議』。

 

そこで、万博の会場デザインプロデューサー藤本壮介さんと、癒しの森とかも担当されていたランドスケープデザイナーの忽那裕樹さんのトークを聞いて、

「すげー!」ってテンションあがったのを覚えてる。

今じゃ考えられへんけど当時の大屋根リングの世間のイメージって、

「円形のリング?大きな日除け?」みたいな感じやったんですよ、

でもここでのトークで初めて大屋根リングが上を歩けることを聞いて

「大屋根リングって上登れるんや!!!絶対そこからの景色って最高やん!!!万博始まったら絶対歩く!!!」

って大阪・関西万博の成功を確信しました。

藤本さんと忽那さんの信頼関係ってすごいと思う。

 

他にも齋藤精一さんや服部滋樹さんなどのめっちゃんすごい先輩方と近くで刺激をもらえたのは自分にとって万博のレガシー。

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5月には舞洲での焚き火とキャンプのリベンジ。

『EXPO TEAM CAMP2023』。

キャンプはなかったけど、念願の焚き火を通じて新しい仲間も増えていく。

 

で、このように順調に万博の機運醸成などを通じて紙芝居屋さんとして順調に絡めていけてるかと思いきや、もちろん失敗もしてる。

 

11月、EXPO酒場『京都店』

京都信用金庫さん発信のEXPO酒場。

多様性をテーマにしたオリジナル紙芝居ご依頼していただき『ももたよう』を作成。

EXPO酒場当日に上演したのやけど、まあパフォーマンスが良くなかった。本当に申し訳ない。慢心などがあったんやと思う。ほんまに落ち込んだ。

制作した紙芝居は後日あらためて見たら「おもろいんやけどなー」と。やっぱり慢心やね。そんな失敗も重ねつつ。

 

次の日が、開幕500日前イベント、なんばカーニバルモールでの『まちごと万博カーニバル』。

『万博ヤバい。いい意味で。』をメインテーマにしたイベントやったのでオリジナル紙芝居『万博ヤバイ』を制作。3部作の大作。

前日のドスベりりの失敗もあるのでこの日をバッチリとキメたい。気合もはいる。

気合いの効果からか『万博ヤバイ』の紙芝居はイベントのツカミとして好評。後々この日の紙芝居を観てくれてた話もたくさん聞く。

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12月、天満のOMMでの『TEAM EXPO 2025 MEETING』。

demo!expoトーク部分のつかみとして紙芝居の依頼。

『TEAM EXPO 2025』は幽霊部員になってしまったけど走り続けてたら回り回って戻ってきたりもする。このように。

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そして、2024年。

1月には東京へ行き、EXPO酒場『霞ケ関店』へ。

これは紙芝居関係なく手伝いに、そして遊びにいっただけやけど。

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4月、とうとう万博開幕一年前。

『まちごと万博バスツアー』では、藤本壮介さんの目の前で『万博ヤバイ』の紙芝居をするという貴重な体験。藤本さん爆笑してくれてました。もちろんいい意味でのヤバイという意味ね。

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『EXPOTRAIN阪急号』、今度は阪急電車のなかでEXPO紙芝居。阪急電車のなかで街頭紙芝居はたぶん歴史上初?

 

6月、EXPO酒場『大手町店』でも、つかみ、空気を変える役割としてのEXPO紙芝居。本当に鍛えられている。

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これも一応万博系の案件か、7月。

EXPO酒場『中小企業店』では中小企業ミライ絵日記アワードの審査員を務めさせてもらう。

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8月。

大阪商工会議所さんとか万博推進局さんののまちごと万博に『万博紙芝居プロジェクト』に登録。

「こういうのあるねんけど登録してや」「ええよー」くらいの感じで。

 

いよいよ開幕半年前、10月。

EXPO酒場『梅田店』、『EXPO OPEN STREET』と機運醸成系のイベントでEXPO紙芝居が続く。

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同じく10月に

心斎橋ビッグステップさんで『こども紙芝居グランプリ』を開催。

「会場どこにしよかなー?」と考えてたときに、アメムラ万博でつながったご縁で提案させてもらう。

1月のEXPO酒場『霞が関店』で知り合った空飛ぶクルマプロジェクトの内閣府の担当者に「空飛ぶクルマ紙芝居作らせてもらえないですか?」と連絡したところ、「公式では無理やけど出来る範囲でお手伝いはしますよ」とのことなのでアドバイスをいただきつつ作成した『空飛ぶクルマ紙芝居』をここで初披露。

目的のひとつであった、審査員に原田ちあきも呼べて、後から聞いたらこれきっかけで万博につながっとかなんとか。

『こども紙芝居グランプリ』の優勝者は万博で紙芝居!を告知でバーンと出したかったけど色々と問題もありそうやったので出来ず。でも優勝者のこどもは万博で紙芝居することに。後述。

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このように万博に向けて動いていたプロジェクトは色々と複雑に絡み出してもくる。

 

11月には『こども紙芝居プロジェクト』での様子などをMBS毎日放送『万博のおへそ』で取り上げていただく。

 

そしていよいよ2025年。

大阪・関西万博開幕の年。

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3月には、

森ノ宮キューズモールにて残念石紙芝居『残念石架空伝説』のお披露目会を開催。

残念石紙芝居とは、残念石を活用した大阪・関西万博会場の【トイレ2】、所謂『残念石トイレ』。

その残念石トイレをテーマにした紙芝居。

残念石紙芝居を作るきっかけになったのは2023年11月の『まちごと万博カーニバル』。

そこで知り合った建築家の竹村さんから残念石トイレの設計の話を聞いたことから。

もともと残念石については知ってたので「おもしろー!」と思い、竹村さんに残念石紙芝居制作のオファーをする。

自分も面白そうな紙芝居で万博に関われるし、紙芝居の力で残念石トイレも世の中にアピールできるかもしれない。という感じでウィン・ウィンでええやんと。

竹村さんも話に興味を持ってくれ、打ち合わせで色々と話も膨らみ、「ぜひ万博会場のトイレの前で紙芝居やりましょー!」となる。ええ感じに話が進んだ。

しかし、ここから紆余曲折を経ることに。

新聞記事をきっかけに「残念石を動かすと歴史的な価値がなくなる」「トイレなんかに残念石を使うなんて以ての外」などと一部で批判の声が出る。

それから残念石を提供してくれている木津川市の対応もわらとナーバスになる。それに合わせ建築家チームの対応もデリケートになる。紙芝居の内容や絵の表現も結構修正したし、残念石紙芝居の件をメディアに出す際も色々と大変やった。

でも、まあ、もともと万博会場の残念石トイレの前での上演を想定していたので五部作という対策で、色んな時代から残念石の目線で歴史(架空の?)を辿るという構成で一部の批判などもポジティブに変えようとチャレンジできたのはやり甲斐はあった。

おかげで産経新聞、毎日新聞、読売新聞などメディアにも取り上げてもらえたし、前述のお披露目会でもわりと好評を得た。

残念石紙芝居に関わっていただいた皆さんありがとうございました。

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3月、いよいよ開幕一ヶ月前。

EXPO酒場『秋葉原店』でも万博紙芝居をちょっと披露。

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さあ4月。

生野区長から直接ご依頼いただき、

「紙芝居屋が教える!万博チケット購入ガイド」として『万博チケット買っ太郎』(紙チケット/ 電子チケット)制作。区役所でのサイネージや、YouTubeなどにも使ってもらう。

世間では万博のチケットの買い方ややこしい問題でちょこちょこ叩かれていた頃、紙芝居なりのアプローチができていれば嬉しい。

いくのパークのイベントで『万博チケット買っ太郎』を上演。やっぱりライブでのワチャワチャした感じは楽しい。生野っぽい。紙芝居の醍醐味。せっかく作ったので実際にやる機会をもうちょっと作っても意義があったかも。

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万博のシグネーチャーパビリオンのプロデューサーを担当してる小山薫堂さん(くまモンの生みの親、映画『おくりびと』の脚本家)、宇賀なつみさんのラジオ番組『日本郵便SUNDAY'S POST』にゲスト出演。

出演に至った経緯は、普段は東京で収録している番組やねんけど万博開催関連で大阪で収録することに。そこで番組プロデューサーが万博関連ゲストを【まちごと万博】のサイトから探すこと。そこで最初に白羽の矢が立ったのはdemoexpo代表の花岡さん(髪型が面白いから?)と万博マニアの藤井さん。花岡さんがスケジュールNGで次点で自分に声がかかる。藤井さんはめっちゃ熱く万博愛を語っていたけど、自分は紙芝居やらさてもらったり変な手紙書いたり自由に遊ばせてもらいました。ありがとうございました。

もちろん社交辞令もあるやろうけど小山薫堂さんに「パビリオンでもやってほしい」と言われたのは嬉しかった。実現できんかったけど。

番組宛に心のこもった感想のお手紙ももらう。

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そしていよいよ大阪・関西万博開幕。

開幕1週間後の日曜日、4月20日。

ポップアップステージ東内にて『かみしばい万博覧会』を開催。

『こども紙芝居グランプリ』でグランプリに選ばれた小学生含む、老若男女8名の紙芝居師による紙芝居公演。

これも開催まで紆余曲折あったなー。

ポップアップステージの存在はある程度早い段階から知ってて「こういう場所なら紙芝居もフィットするかもなー」と考えていた。

ネットで一般催事枠の募集を知り、「よっしゃ!いっちょやってみっか!」と応募。

最初は企画も具体的にはイメージ出来てなかったから『KAMISHIBAISHOW』という名前で応募。

映えそうなおきゃんの写真もドーンと企画書に貼り付け、今まで機運醸成として関わってきた実績も書き込む。

今までやってきたことも認めてもらえたのか無事に企画が通る。

そこで、正式に企画内容を煮詰めないといけない。企画提出期限も迫ってきている。何しよう?メインビジュアルも舞台設計図も作らないといけない。

「そういえば以前『かみしばい万博覧会』ってやったな」。かみしばい万博覧会ならロゴも大きな幟もすでに作ってる。ええやんええやんそれでいこう。老若男女色んな紙芝居師が活躍したら万博っぽい。それでいこう。

ということで『KAMISHIBAISHOW』から『かみしばい万博覧会』に名称変更、舞台に大きな幟がどーんと一つだけ立ってるシンプルなストロングスタイルな企画になった。

AD証の発行とか色々ややこしかったけど、お客さんも紙芝居師たちもとても楽しそうだったので企画して良かった。命輝いてた。

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そして、その翌週。4月26日と27日。

EXPOメッセ「WASSE」での『JAPAN EXPO PARIS in OSAKA2025』に出演。

これも紆余曲折あったなー。

「ガンチャン万博でーへん?」と近畿経済産業局の植田さんから声をかけていただいたのがきっかけ。2つ返事で承諾。

植田さんは最初は「紙芝居屋ってなにもんやねん」と思いつつも、SNSなどを通じて色々と理解をしてくださり、色々と目や手をかけてもらう。

やるからには日本の文化として自転車の紙芝居舞台でやりたい、マイクはどうするのか、やる場所は、などなど、色々と問題もありつつひとつひとつ対応してもらう。

ジャパンエキスポということで、アニメとか好きなずっくも呼ぼう。では、もう一日はおきゃんを呼ぼう。という感じで決める。

当日急遽良い場所でやらせてもらったり、知り合いもたくさん観にきてもらったり、楽しかった。日本のカルチャー紙芝居。

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続いては、

EXPOアリーナ「Maturi」での『EXPO共鳴フェス 人間響命祭』。5月14日と5月15日。

2025年の1月頃、EXPO共鳴フェスとして『人間響命祭』の企画が出てきた段階で、子ども対象のミニステージのコンテンツとして知らぬ間に【紙芝居】も決まってた。嬉しいけど。

企画が進むうちにライブとかがメインになり、子ども対象のミニステージもなくなって【紙芝居】もなくってた。まあ、しゃあない。

そこでEXPO酒場として『日本全国盛りあげます神輿』チームの当日演出を担当していたんやけど、「そのなかにそれなら【紙芝居】をいれこもう!いいですか?」と紙芝居をいれこむことに。

1万人以上入るアリーナで普通の紙芝居をしてもしゃあない、せっかくならデカい紙芝居をしようと、横幅2メートルくらいのデカい紙芝居をやることに。

素材の段ボールは日本紙工株式会社さんから提供していただきました。ありがとうございました。

こうして、EXPOアリーナで『でかい紙芝居』というバカバカしくエネルギー溢れる紙芝居を実施できた。

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とりあえず万博開幕前に決まっていた紙芝居の企画は終わった。

「いやー、3企画で出来るなんて思ってなかったから、めっちゃ貴重な体験できたなー」

と、思ってたけどそこで終わらないことに…

 

5月22日、

ラジオ関西「Clip木曜日」に万博での紙芝居の活動を取り上げてもらう。その記事に興味を持ってもらい6月に共同通信に取材してもらう。

 

人間響命祭での『日本全国盛りあげます神輿』の企画のクラウドファンディングをしていたんやけど、そのなかのリターン品として【ガンチャンオリジナル紙芝居制作コース】があり、それを支援してくれたのが小泉製作所さん。

「どんな紙芝居作りましょ?」

「今度万博で話す機会があるねんけど、その時の紙芝居とかどうやろ?」

ということで、7月29日のEXPOメッセ「WASSE」『大阪ウィーク夏』での紙芝居を作ることに。

小泉製作所さんの普段の活動の想いを詰め込みつつ、堺市のPRも兼ねて『NEJIYAN』の紙芝居が完成。

堺商工会議所チームとして、ステージトップバッターの盛りあげ役を紙芝居でバッチリ役目を果たせたかな?と。ご縁に感謝。

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8月。

大阪商工会議所さんからのご指名で、水都大阪関連のイベントとしてEXPO酒場『八軒家浜店』での紙芝居。

開幕500日前イベントのなんばカーニバルモール『まちごと万博カーニバル』での紙芝居を観て気に入ってくれたそう。嬉しい。見てくれてる人は見てくれてる。

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続き9月。

ABCラジオ『浦川泰幸の健康道場プラス』を万博会場のサテライトスタジオで収録。

数年ぶりにラジオのディレクターから連絡が来て「何かな?」と思えば万博関連でのオファーらしい。ラジオで『ゾンビの誕生』というノンバーバルな紙芝居をやるチャレンジ。楽しんでくれたように何より。

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「サテライトスタジオでの紙芝居というおもろい経験できたなー、これが万博会場での最後の紙芝居やな」と、思ってたけどまだ終わらず。

 

閉幕の1週間前。10月6日。

パナソニックグループのパビリオン「ノモの国」派わりと周りの友人たちが関わっていたのやけど、最後の『ノモの子パーティー』で紙芝居のオファーをもらう。

わりと近々でのオファーで、午前中は奈良での紙芝居公演が入ってたんやけど、ある程度時間を調整してもらい奈良から夢洲の万博会場へ車でダッシュ。

アンロックされた子どもたちのパワー満載で楽しかった。紙芝居とアンロックはめっちゃ相性いいと思う。紙芝居ってめっちゃアンロック。

パナソニックの担当の人が「もっと早くお呼びしてたらよかった」と言ってくれたのが嬉しい。

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こうして大阪・関西万博会場の紙芝居はフィニッシュ。

サテライトスタジオのラジオ収録での紙芝居も含めたら、5カ所、6企画、7回公演。

関われるかどうかとやきもきしてた2018年の頃から考えたらめちゃめちゃ色んなところで紙芝居が活躍できて本当によかった。

色々動いて、色んなご縁が繋がって、結果を出してきたからこそやと思う。

 

最後のボーナスステージとして、

10月9日、10日、17日に江之子島文化芸術創造センター『大阪・関西万博デザイン展』で「こみゃく紙芝居をつくろ」のワークショップのオファーをもらう。

「ガンチャン、デザイン展でワークショップやらへん?」とオファーをもらったのはのは直近で、そこからワークショップの内容をつめて、準備を進める。急遽にしてはなかなか良い内容のワークショップになったと自負している。

世の中の万博愛、こみゃく愛はすごく予約はすぐ埋まる。参加者の万博愛、こみゃく愛もすごくワークショップは熱気に帯びていた。

demoexpoの活動をずっと応援してくれていたデザインシステムの引地さんと一緒に何かできたのも嬉しかった。

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大阪・関西万博での紙芝居として関わった活動は全て完了。

とても貴重な体験をたくさんさせてもらったし、走り続けたなかで出会ったご縁をこれからも大切にできたら嬉しい。

関わってくれた全ての皆さんに感謝。

 

気づいたことは、

紙芝居というよくわからないものに関わってくれてる人はみんな『気』の持ちようの良い、『気持ちのいい』人ばかりなので、自分も楽しく『気持ちよく』動けてます。

これからもそんな関わりを大切に。

 

紙芝居屋のガンチャン

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